コンドルをまちながら

読書感想ブログです。

九鬼周造『「いき」の構造』 岩波文庫

昔から「いき」に対しては、「古い言葉だ」という印象を持ってきた。死語とは言わないまでも、半ば伝統めいた表現だと感じていた。当たり前だが、今でもそうである。
だから、「いきだね」と言われても、あるいは「いき」な芸術に触れても、「まあそんなもんか」、というくらいの感情しか起こってこないというのが正直なところである。
それよりはよっぽど、「カッコいい」とか「ウケる」とか「エロい」という現代風の言葉のほうがしっくりくるに決まっている。

 

さて、そんな「いき」について、真っ向から勝負を仕掛けた書物がある。九鬼周造の『「いき」の構造』である。
テレビとかでも取り上げられることもあるし、けっこう有名な本なので、名前くらいは聞いたことがある、という人も多いのではないか。

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H.ベルクソン/S.フロイト『笑い/不気味なもの』 付:ジリボン『不気味な笑い』(平凡社ライブラリー)

3つの、時代も作者も異なる論考が一冊に収められた本である。
ベルクソン『笑い』フロイト『不気味なもの』、そしてジリボン『不気味な笑い』
前2者は、もはや古典となっており。すでにいくつかの邦訳も出ている。
ということで本書の眼目はやはり、ジリボンという日本では無名と思しきフランス人の書いた『不気味な笑い』にあるだろう。

 

『不気味な笑い』は、タイトルからも想像はつくが、『笑い』と『不気味なもの』を合体したような論考である。
著者であるジリボンはその中で、ベルクソンフロイトの、つまりは笑いと不気味なものとの共通点と相違点について研究している。

 

共通点とはなんだろうか。 ひとことでいえば、ベルクソンフロイトも、結局は同じものについて語っている、ということである。
笑いと不気味なものという、一見相反するかのように思われるテーマにもかかわらず、両者があつかう対象は同じなのだ、とジリボンは言うのだ。

 

共通するはずのこの対象にふれたときの反応は、しかし、ベルクソンフロイトで異なっている。
ベルクソンは笑い、フロイトは不気味だと感じたのである。これがジリボンの語る両者の相違点である。

 

ジリボンは断言する。ベルクソンフロイトは、実は同じものをあつかっていたのだと。
しかしまた彼は問う。では、その反応が、両者の間でまるで真逆だったのはなぜだろうか

『不気味な笑い』は、この断言問いとに貫かれた、短いながら(実際すぐ読めてしまう)明快な論考なのである。

 

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(メモ)(読書関係なし)ゲームサウンド分析のためのフレームワーク(IEZA framework)があるようだ

ふと、「そういえばゲーム音楽の理論ってあるのかしら」と思い適当にググっていたら、それっぽい記事をいくつか発見した。

どうやら「IEZAフレームワーク」というのがあるらしい。整理とメモがてらまとめてみる。

 

日本のゲーム音楽論が出遅れている件について - ゲーム音楽史研究所

Gamasutra - IEZA: A Framework For Game Audio

IEZA Framework - Wikipedia

 

このへん。

日本語での情報はあんまりないっぽいし、向こうでもどのくらい研究が進んでるのかもわからんが。

 

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ロジェ・カイヨワ 『遊びと人間』 (講談社学術文庫)

著者のカイヨワ(1913-1978)はフランスうまれの人物である。

『遊びと人間』は、1958年に書かれた。以来、遊びについて考えるための大きな指針となっているようだ。


本書でカイヨワは、人間の遊びに明快な定義と区分を与えた。

いわく、遊びとは「自由で」「日常から隔離されて」「なにが起こるかわからなくて」なおかつ「何も生み出さない」。そしてそれは、「アゴン=競争」「アレア=偶然

ミミクリ=模倣」「イリンクス=眩暈」の、大きく4種類の区分を持つ。

……しかしそれは、すでにWeb上の色々なところで解説されている。「カイヨワ 遊び」とかのワードでググったら簡単に見つけることができる。だから今さら、ここに書く必要はないとおもわれる。

ということで、今回は、内容をダイレクトに掘り進めるのではなく、本書と、あるいはカイヨワと関係のある「人物」を軸にして書いてみようとおもう。その一人目は、カイヨワの直接の"師匠"とも呼ぶべき先駆的人物、ホイジンガである。

 

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千葉雅也・『勉強の哲学 来たるべきバカのために』 (の、音楽的な読み換え)

千葉雅也氏の話題の新著、『勉強の哲学 来たるべきバカのために』。
「勉強」をめぐって、フランス現代思想などに支えられた深遠な考察が巡らされている。
深いながらも水質は透明で、すぐに水底まで見通せる。読むだけならスラスラと読めるのだ。

この読みやすい書物について、素人が下手に内容をまとめるべきではない。実際に本を読んだほうが手っ取り早い。
だから、今回は、ちょっと実験的な、おもしろそうな読みかたを提示してみたいと思う。
発端は、著者である千葉氏自身のこのツイートだ。

 

 


その場のノリ、空気感といった意味で使われていた「コード」という言葉を、そのまま音楽的な「コード=和音」と読み替える。
じつにおもしろそうな提案ではないか。読み換え、パラフレーズというのは言葉遊びの基本でもあるわけだ。
わたしは音楽についてはほとんど素人なのだが、それでも基本的な理論くらいはかじったことがある。だからなんとなくいけそうな気がしている。

「コード」概念が一番幅を利かせているのは、たぶん第二章である。
だからこれから、その第二章の内容を中心に、本書に登場する様々な用語を、音楽用語に置き換えて読んでいく。

とはいえ、哲学も音楽もつまみ食い程度の知識量しかない。だから、あくまでも「口もぐもぐ」的な遊びとして、あるいはより高次の議論へのたたき台として読んでもらえると幸いである。

 

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テスト2

イソフラボン

イソフラボン

イソフラボン

イソフラボン

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*1

イソフラボン

イソフラボン

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