ynmtのブログ

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フルーツにハマった

 最近、フルーツにハマっている。

 といっても、別にヒネったハマり方をしているわけではなく、単にフルーツをよく食べるようになった、というだけのことだ。

 

 もともと私は、あまりフルーツが好きではなかった。というか、今思えば、フルーツとの"付き合い方"がよく分かっていなかったのだ。どんな日に、どんなタイミングで、どんな気持ちでフルーツと向き合えばよいのだろう? という感じで、私にとってフルーツは、長らく"謎の存在"だった。

 「ショートケーキのいちご」なんて、生クリーム党の私に言わせてみれば天敵のようなものだった。あんなもの、クリームのオイリーなうまさに、いちごが水を指しているだけだと思っていた(この認識自体はいまもそんなに変わっていないが)。

 そんな私が、「スーパーとかでフルーツを買ってきて食べる」という暮らしを楽しんでいるのだから驚きだ。フルーツ童貞を捨てたようなもんである。

 

 特別、きっかけらしいきっかけというのも無いのだが、テレビや映画やYouTubeで、誰かが何かをしながら気楽にフルーツを食べている場面を観るうちに、「あ、フルーツってこんなスナック感覚でつまんで食べるものなんだ」というのがわかってきて、それからフルーツに手をのばすようになった。

 最近だと、NMB48のあんちゅ(石塚朱莉)がドラクエ3を実況しながらいちごを食べていて、「いちごってこうやって食べていいんだ!」と気付かされた。そしてその日は近所のダイエー佐賀県産のいちごを買ってきて、10粒ほどつまんだ。次の日にはきんかんを、また次の日にはカットメロンを買ってきて、冷蔵庫で冷やして食べた。

 いちごもきんかんもメロンも、今までにも何度も食べているはずなのに、なんだかとても新鮮な感じがした。お酒やタバコを通じて大人の仲間入りを果たしたと感じることがあるように、私もようやくフルーツ人(?)の仲間入りをしたような、そんなイニシエーションの感覚があった。

 

……

 

 我ながらなんとも素っ頓狂な文章のようにも思えるが、人が何かを好きになる(嫌いじゃなくなる)きっかけというのは、案外こんなものなんだろう。まあ、飽き性なので、またすぐに飽きるかもしれないのだが、しばらくはいろんなフルーツを楽しんでいこうと思う。

再生と<演奏> -陶酔についての試論-

以下の文章は、私が1年くらい前に書いた小論を加筆・修正なしにそのまま掲載するものである。拙い点は多いが、あえてそのまま発表することにする。おもにカイヨワの『遊びと人間』、とくに"模倣"と"眩暈"を中心に据えた、パフォーマンス論(芸術論?)として読めるだろう。なお、各章の小見出しも当時のままに掲載している。

 

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「楽曲提供」よもう一度

 以前、斉藤由貴の『悲しみよこんにちは』を紹介した。この曲は、森雪之丞玉置浩二武部聡志という豪華トリオによる作品である。で、当時のアイドルソングは、彼ら以外にも、ASKAとか井上陽水とか細野晴臣とかユーミンとか竹内まりやとか、名だたるアーティストによって手がけられたものが多い、というのも書いた。

 ところが、最近のアイドルソングはそうではない。あきらかに、有名ミュージシャンによる楽曲提供が減っている。

 もちろん、杉山勝彦とかAkira Sunsetとかバグベアみたいな、新進気鋭のコンポーザー、アレンジャーたちによる楽曲は、それはそれで素晴らしい。夢みるアドレセンスにはKEYTALKが楽曲提供していたりもする。なによりも、つんく♂中田ヤスタカのように、ミュージシャン自身がその活動の延長として直接、アイドルやグループをプロデュースすることも増えて、その結果、他のミュージシャンの介在の余地がなくなっていたりもする。こうした流れは、「時代の変遷」といってしまえば、それで片付く話でもある。

 とはいえ、時代を代表するアーティストたちによる共同作業的な、松田聖子中森明菜的な、そういう総合的な音楽の形をまた堪能したいという気分もあるのだ。たとえば誰だろうか。いまだに現役の玉置浩二ユーミンだってよいし、桑田佳祐とか、桜井和寿でもよい(絶対しないだろうけど)。

 平凡な「J-POPだめになった論」には着地したくないけれども、7~80年代ポップスのオールスター感を振り返るにつけ、なんとも微妙な気持ちになってしまうのである。なんらかのイベントとか、なんかの何周年記念みたいな区切りで、豪華メンバーによる共同作品がちょこちょこ作られたりはしてるっぽいが、イマイチ話題にならない。やっぱりそういう時代なのだろうか。

 もっと、「神々の遊び」的な音楽が聴いてみたいのだけどな~。おもえばUSA for Africaの「We Are The World」も85年なので、結局そういう音楽は、時代が作るものなのだろう。ということで納得しておく。

お気に入りミュージック vol.002

悲しみよこんにちは』/斉藤由貴

 早くも第二弾と相成ったこのシリーズ。書くことがないわけではないが、なかなかまとまらないのだ。

 


斉藤由貴 / 悲しみよこんにちは ♪

 

 さて、今日紹介するのは、斉藤由貴の『悲しみよこんにちは』。「卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう~♪」でおなじみの『卒業』でデビューした斉藤由貴の、5枚目のシングルである。アニメ『めぞん一刻』のオープニングテーマでもあったので、その流れで知っている人も多いのかもしれない。

 この曲、昔のアイドルソングを漁っていたときに出会ったのだが、なんといっても制作陣が凄い。まあ、1970~80年代のアイドルソングは、来生えつこ来生たかお夫妻、阿木耀子&宇崎竜童夫妻、松本隆飛鳥涼チャゲアスASKA)など、今から見ればそうとう豪華な面々によって生み出された名曲が多いわけだが、この曲もその例に漏れないのである。作詞・森雪之丞、作曲・玉置浩二、編曲・武部聡志。名曲でないはずがない。

 

 それに加えて、斉藤由貴の透明な歌声である。最近なにかとお騒がせ感はあったような気もするが、鼻濁音を添えて歌われる「手のひらのそよ風」なんて歌い出しを聞くと、そのへんのスキャンダラスな記憶は簡単に麻痺するだろう。ともかくすばらしい一曲である。

 

 「MUSIC FAIR」で玉置浩二とコラボした動画もある。これもまた良い。


玉置浩二/斉藤由貴 悲しみよこんにちは

 

 私が生まれる前の曲であるけども、昔の曲はいいなぁ~~という感じがすごい。いや、今もいい曲はいっぱいあるのだけれど。とりあえず、今後も昭和の名曲をどんどん紹介していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

お気に入りミュージック vol.001

COME ON EILEEN / DEXY'S MIDNIGHT RUNNERS

特に書くことが無い日は、お気に入りの音楽とかを紹介することにした。

 

本日はこれ。


dexys midnight runners come on eileen

 

 デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズは、イギリス・バーミンガムにて結成されたバンド。この『COME ON EILEEN』は、1983年(昭和58年)リリースの楽曲である。フィドルバンジョーによる伴奏、レンジの広いメロディーは、牧歌的で晴れ晴れとした印象をあたえる。

 1983年といえば、我がバイブル『構造と力』が刊行された年であり、その前年の1982年には中森明菜がデビューしているわけで、個人的な憧れというか、勝手に「良き昭和」を代表していると考えている時代である。ズバリその頃に産まれた楽曲なのだから、エモくないわけがない。

 無論、当時は当時でいろいろ大変だったはずなのだが、諸々の問題は、絶妙に悪い画質・音質のおかげで、モザイク的に隠蔽されている。こうした情報の縮減っぷりは、「昔の映像」ならではの魅力である。

 

 ちなみに、この曲が収められたアルバムの邦題は、『女の泪はワザモンだ!!』。これまた、なんとも形容しがたい滋味深さを醸している。。。。!

 

 

 ちなみにのちなみに、この曲には、Save Ferrisというアメリカのバンドによるカバー版もある。1997年リリース。実は、私がこの曲を知ったのは、彼らのカバーをどっかでたまたま耳にしたのがきっかけだった。


save ferris come on eileen

 非常にいいアレンジなのだが、全体的にテンポアップ&トーンアップしており、(女性ボーカルだからというのもあるにせよ)なんとなく「時代の流れ」みたいなのを感じる。