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「楽曲提供」よもう一度

 以前、斉藤由貴の『悲しみよこんにちは』を紹介した。この曲は、森雪之丞玉置浩二武部聡志という豪華トリオによる作品である。で、当時のアイドルソングは、彼ら以外にも、ASKAとか井上陽水とか細野晴臣とかユーミンとか竹内まりやとか、名だたるアーティストによって手がけられたものが多い、というのも書いた。

 ところが、最近のアイドルソングはそうではない。あきらかに、有名ミュージシャンによる楽曲提供が減っている。

 もちろん、杉山勝彦とかAkira Sunsetとかバグベアみたいな、新進気鋭のコンポーザー、アレンジャーたちによる楽曲は、それはそれで素晴らしい。夢みるアドレセンスにはKEYTALKが楽曲提供していたりもする。なによりも、つんく♂中田ヤスタカのように、ミュージシャン自身がその活動の延長として直接、アイドルやグループをプロデュースすることも増えて、その結果、他のミュージシャンの介在の余地がなくなっていたりもする。こうした流れは、「時代の変遷」といってしまえば、それで片付く話でもある。

 とはいえ、時代を代表するアーティストたちによる共同作業的な、松田聖子中森明菜的な、そういう総合的な音楽の形をまた堪能したいという気分もあるのだ。たとえば誰だろうか。いまだに現役の玉置浩二ユーミンだってよいし、桑田佳祐とか、桜井和寿でもよい(絶対しないだろうけど)。

 平凡な「J-POPだめになった論」には着地したくないけれども、7~80年代ポップスのオールスター感を振り返るにつけ、なんとも微妙な気持ちになってしまうのである。なんらかのイベントとか、なんかの何周年記念みたいな区切りで、豪華メンバーによる共同作品がちょこちょこ作られたりはしてるっぽいが、イマイチ話題にならない。やっぱりそういう時代なのだろうか。

 もっと、「神々の遊び」的な音楽が聴いてみたいのだけどな~。おもえばUSA for Africaの「We Are The World」も85年なので、結局そういう音楽は、時代が作るものなのだろう。ということで納得しておく。