アンチ・モチベーション宣言 その1
前回の記事で、「モチベーション格差社会」というのを紹介した。
そこでは、来たるべき「モチベーション社会」、つまり「やる気こそが人間の条件なのだ」とする社会において、モチベゼロ人間がどうやって生きていくべきか、という生存戦略を、ちょっとだけ考えた。
その後しばらくあれこれ考えていたわけだが、そのような「モチベーションなくてもいいじゃん!!」的な態度も、結構必要なんじゃないかと思うようになってきた。
そしてそれを「アンチ・モチベーション」と名付けて、連載シリーズとしてこのブログで押し出していこうと思い立ったのだ。目玉記事みたいなのが、一個でもあったほうがいいだろうし......。
というわけで、第一回目となるこの記事では、そもそも「モチベーション社会」とは何か、それに反対するという「アンチ・モチベーション」とはどのようなものになるか、という概論を述べてみたい。
「これからの時代は、個人の嗜好や欲望に根ざしたモチベーションこそが重要になってくる。モチベーションを持たない人々は、AIやロボットに仕事を奪われる。ベーシックインカム(BI)に吸収されるならまだいいが、必ずしもBIがまんべんなく行き渡るとは限らないため、結果的に彼らはリスクを背負うことになる」……。
このようなビジョンを掲げて、「好きなことで生きていく」ためにモチベーションをフルレンジで駆動させながら邁進している人々を、「モチベーショニスト」、彼らの思想を「モチベーショニズム Motivationism」と呼ぶことにしよう(少なくともこのシリーズでは)。
前回も述べたが、このようなビジョンはまったくもって正しいと思われる。
今後はいま以上に多くの人間が、モチベーションを原動力としながら、既存の価値観にとらわれない自由な働き方、生き方を選ぶようになるだろう。
とはいえ、それ一辺倒ではやはりキツイと思うのだ。「やる気があればなんでも出来る」的な思想は、普段は意識しないような身体的・精神的健康や、偶有的な素質・環境要因に、思っている以上に依存しているはずだからだ。そうした身体的インフラが損なわれたとき、その谷間をモチベーションだけで飛び越えることはむずかしい。
無論、必ずしもそのような悲観論のみによってこの「アンチ・モチベーション」が支えられているわけではない。
もう一つの柱としては、むしろアンチ的態度を敢えて採ることによって、モチベーション社会における新たな可能性を開けないか、という、ポジティブなものがある。
現状、モチベーショニズムの考え方は常識はずれの「邪道」のように扱われているだろうが、これはすぐに王道に転じると思う。しかしそうなる前に、あらかじめ「新たなる邪道」への入り口を確保しておいたほうが良いと思われるのだ。
「モチベーション格差社会」から取りこぼされた者を受け止めるセーフティーネットと、来たるべき社会の「別の楽しみ方」を提供する視座とを、同時に獲得したい。
そのようなモチベーション(!)こそが、「アンチ・モチベーション」の駆動力となる。
という感じで、とりあえず導入としての第一回目はこの程度にしておいて、出来る限りにハイペースで「アンチ・モチベーション」論を進めていこうと思う。